23.学ばない事の罪

突然ですが皆さん、学校で学んだことはどれだけ実務に活かせていますでしょうか?よく、



 

「学校で勉強したことなんか、全然仕事の役に立ってないよ!」

 

という言葉を耳にしますが、皆さんもそう思いますか?私は、メチャメチャ役に立つと思っています。だって、国語は日本語そのものの使い方や解釈の仕方についての学びですから、コミュニケーション上必須であるし、読書をする上でも必須のスキルですよね。これについてはあまり反論はないと思います。さらに歴史などは、歴史から学び未来を見渡すという観点で、特に勉強の価値があるところです。残念ながら私は歴史から未来を見渡せるほど、勉強ができておりませんので、目下訓練中です!(汗)それ以外にも教養という観点で、歴史に通じていれば仕事上のパートナーからも尊敬されるというのはあると思いますが、今回のブログではなるべく実務的な効用に注目して話を進めていきたいと思います。

 

また、勉強といったときに最も毛嫌いされる科目の一つに“数学”があります。実は私は理系だったのですが、あまり学生時代に勉強していなかったので(していなかったんかいっ!!って突っ込み聞こえそうですが・・・)、結構忘れてしまい、いま改めて数学を復習しています。そこで気付いたのですが、図形の証明問題等は今の方が学力上っているんですよね。特に中学数学などは、覚えるべき定理や公式は少なく、問題の読解能力によりどの定理を用いるべきかに気付けるかが重要であり、文章の読解能力は当然今の方が高いわけで、且つ証明問題を解くには論理的思考が必須ですが、実はビジネスの世界は論旨的思考の連続です。その為、その思考方法がビジネスを通して訓練されていたので、一部の数学問題については今の方が解けるという事になったのだと思います。

 

そもそも数学というのはギリシャが発祥の地らしく、その当時は古代ギリシャの時代なのですが、そこではその頃から民主政治が実現していました。民主政治と独裁政治の違いは簡単に言うと物事を民主的に決めるか、最高権力者が独善的に決めるかの違いです。民主的に決めるということは、人を説得し合意を得るというプロセスが必要になるという事です。そこには論理的思考が必須となりますので、数学がその地で生まれ、広がったことは、実務的に必要性が高かったからではないかと私は感じています。

 

英語の必要性は説明不要と思いますので割愛しますが、このように視野を広くもてば、これまで学んだことの応用範囲は無限に広がるのではないかと感じる訳です。

 

あ、英語で思い出しました。話が、少し脇道にそれますが、以前TVか動画でヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんが、アフリカかどこかで、日本人は英語が苦手だという話になったときに、

 

「日本には学校が無いのか?」

 

と言われ、悔しい思いをしたとのエピソードを語っていました。しかし私はこれについては違う考えを持っています。日本以外の諸外国においては学問にしても芸術にしても、しっかり学ぼうとしたときには母国語だけでは全く情報が足らず、英語が必須になる訳です。なので逆に日本において日本語だけであらゆる学問を学ぶことができることは、誇るべき事だと思っています。当然のことながら最先端の事を学ぼうとした場合は、外国語も必要になることは皆さんもご存知の事ではありますが。

 

話を“学び”に戻します。これは私の考えであり、第2回目のブログ「“欲”をコントロールする為に必要な事」でも少し触れたのですが、人間の使命として重要な事は

 

“社会の進歩発展に貢献する事”

 

だと感じています。地球上にこれだけ多くの生物が存在するのに、世の中の有様を変えるだけの能力を持っているのは人間だけです。これは人間が持つ特権なのかもしれませんが、それによって自然を壊したりしてしまったときに、これを回復させる責任も発生します。その時人間は時間を巻き戻して、昔の少し不便な生活に戻ることはできない生き物です(例外はいらっしゃいますが)。つまり新たな技術や発想・・・つまり進歩発展を通して困難を克服し、さらにより良い世界を作ることが使命としてあるのだと思います。その為、我々は古い事新しい事を学び続ける必要があるのだと思います。

 

特に、企業経営者や著名人等、人に影響を及ぼす立場にある人は、正しい決断や発言をする為に、正しい情報をつかむ必要がありまし、学ばないことは罪です。しかし、実はこれがなかなか難しいのです。

 

例えば日本を代表する製造業のTopの方たちはまだ、アジアの大国であるC国の市場に魅力を感じ、投資を続けていますが、国際政治の流れはそうなっていません。C国では人権弾圧がなされ、特許は盗まれ、そこで稼いだ通貨も外部に送れません。つまり市場自体は巨大で魅力的に見えるのですが、実際に儲かるかと言うと、失うものの方が多いのです。しかし日本の5大紙及び地上波TVはこれを全く報じません。

 

経営者のみならず、芸能人も発信力がありますが、この人たちも事実を見極めずにTwitterなどでつぶやき、社会を混乱させることもあります。朝日新聞社が沖縄県西表島のサンゴを自身で傷をつけ写真を撮り、これを捏造記事にしたことは有名な事件ですが、最近のプラスチックゴミに対する意見の高まりも似た様な雰囲気を感じます。これを鵜呑みにして自然を守ろうとかプラスチックを使うのやめようと呼びかけると、技術的な転換を強いられ、高コストとなり日本経済全体が競争力を失いといった負の影響もはらむ訳です。

 

なので、我々は正しい事実を見出す努力をする必要があると思います。でも、なんでマスコミは事実を話さないんでしょうね?

 

またまた話が脇道にそれるように思えるかもしれませんが、大事な話なので続けますね。
話は太平洋戦争敗戦後のGHQ配下の日本の時代にさかのぼります。当時のGHQが日本が再度復活して脅威にならないように画策していたことはあたりまえですよね。日本が復活の意志さえ持たないようにしようと思ったときに抑えるべきポイントが以下の2点にあったことは自然だと思います。この2つは思想を作りますので。

 

・教育/研究機関
・マスコミ

 

またGHQは連合国軍最高司令部ですから米国だけではなく連合国から構成され、ソ連の影響も大きかったわけです。さらには当時のアメリカ大統領であるルーズベルトが社会主義的思想に染まっていたことについてご存知の方も多いと思います。以上の背景から日本の大学教授、教科書関連及びマスコミがGHQの思惑通りに教育され、結果現在もなお保守的思想を嫌い、左寄りの主張に終始し、今の日本が本当にやるべき事から目を背けるように情報発信をし続けているという構図になっています。
※因みに、理系の学問は思想とはあまり関係ないために制限を受けずに学べたのでしょう。なので戦後の日本は、政治は2流と言われながらも技術立国として名を馳せることができたのでしょう。

 

以上の理由から、教科書、新聞、地上波を通じては正しい情報は期待できません。一方でインターネットの普及によりだいぶ旧マスコミは力を落としていますから正しい情報を得る手段はだいぶ増えてきています。正しい情報の入手は、基本的には書籍、インターネットを通じてという事になります。とは言っても、ネットにもフェイクニュースは溢れているし、本だって信憑性に欠けるものが沢山あります。書籍の場合、書かれていることの信憑性を推し量るための基礎的な考え方としては、

 

・著者の主張に対して裏付けとなる理由が明記されている事
・裏付けとなる事実に対しては出所が明記されている事。(いつ、だれが、どこで発信したか)

 

主張だけを言いっぱなしの本は信用してはいけませんね。ただ、上記の裏付けとなる事実自身が嘘である可能性もゼロではありませんが、そこは専門家にまかせるしかありません。我々ビジネスに従事している者が1次情報の解析をする時間はありませんので。

 

そういった意味で、もう一つの正しい情報を得るための有効な方法は信用できる人を見つけてその人の発信をフォローするというのがあります。その場合は、やはり書籍の中で裏付けとなる情報を明記している人は、信用できるので、その人の書籍を読み漁るというのも有効な方法だと思います。それ以外に、その人が信用できるか否かを判断する方法はやはり、その方が、

 

“社会の進歩発展に貢献する事”

 

に対して真剣に取り組んでいる人・・・と感じれるかどうかだと私は思います。