53.0→1発想のできる人

つい先日、「東レはなぜ、市場ゼロからの基礎研究を半世紀続けれたのか」と言うタイトルの、東レのCTOである阿部晃一さんという方とリパネスグループCEOの丸さんと言う方の対談記事を読む機会がありました。私が個人的に興味深いと思ったのは、AIが研究開発にどのように貢献できるかに関するくだりでした。



 

これまでは、研究者がトライ&エラーで素材を組み合わせ、新しい材料を創り出していたが、そのプロセスにAIやロボティクスを導入する事で、仮説の検証やデータベースづくりは飛躍的に効率化されるという事です。

 

しかしながら、最初の発想、つまり“何を開発するか”という部分はなかなかその基準を説明することができない“不連続”なものだという事でした。それ故にこの部分をAI化する事はできないと阿部CTOは仰っていました。私はこの“最初の発想”ができるか否かが0→1の発想ができるか否かと大きく関係があると感じています。そして、東レが着手したR&Dを継続するか否かの条件は、

 

「私がワクワクするテーマなら継続する」

 

と阿部CTOは数年前のIRミーティングで発言なされて、爆笑を誘ったそうです。

 

0→1と言っても隅から隅まで全く新しいものを考え出すという事はあり得ませんし、先人の知恵を否定することになってしまいます。従って新しいモノを考えつくために、これまで蓄積された知識や情報をいかに組み合わせるかについての、様々な発想法があります。以前私が図書館で手にした、田坂広志さんの「使える弁証法」という本が興味深い内容でしたのでここで紹介させて頂きます。

 

(ヘーゲルの)弁証法とは、モノ(事物)やコト(命題)が「否定」を通じて、新たな・より高次のモノやコトへと再生成されるというプロセスを指します。そしてそのプロセスは、「正(テーゼ)」「反(アンチテーゼ)」「合(ジンテーゼ)」という言葉を用いて説明されます。
例えば、「花」を例に弁証法によるプロセスを説明すると、

 

「花は美しい」 = 「正(テーゼ)」
「花は枯れる」 = 「反(アンチテーゼ)」

 

と定義する事ができます。(もちろん別のテーゼ/アンチテーゼを定義する事もできますが、ここでは上記の定義に基づいて説明を進めてまいります)
先ほど述べた通り、弁証法とは「否定=反(アンチテーゼ)」を通じて、新たな・より高次のモノやコトへと再生成されるというプロセスを指しますから、「花は美しい」方が「正」だからずっと美しいように造花を用意した方がいいじゃん・・・と言う考え方ではなく、「花は枯れて実を残す」、つまり、「花は、自身が花であることを否定して実を残す」というように、否定を通じて新たな事物を生み出し、より高次の状態へと導かれる一連のプロセスが、”弁証法によって表されるもの”という事です。

 

先程紹介した「使える弁証法」という本は、この考え方を応用して未来を予測しちゃいましょうという本です。その考え方はこのようなものです。

 

①昔、離れた人との主たるコミュニケーション手段は手紙だった。
②電話が発明されたことにより、離れた人と即時にコミュニケーションが取れることが実現し、手紙は凌駕された。

 

ここまでが過去の事実としたときに、これらに基づき未来を予想する方法は、②(電話)の台頭によって失われた電話にない①(手紙)の利点が、新しい技術によって復活させる事ができたら、それが未来に広がるかもしれないモノであるという発想法です。

 

つまり、電話によって離れた人との即時のコミュニケーションが可能になりましたが、手紙には、情報が後に残るという電話にない利点があります。技術の台頭により、電話の利点を生かしつつ、手紙の利点も生かすことを実現したものが“電子メール”です。

 

この様な発想法を応用して未来に台頭しうる新しい技術等を予測する例を示した本です。興味がある方はご覧になってみてください。また、これ以外にも世の中には様々なアイデアを創り出す為のノウハウ本があります。私が個人的に持っている本だけでも5~6冊ありました。昔、社内ベンチャー公募に応募しようとしたときあたりに買ったのかもしれませんが、正確な動機は忘れてしまいました。(笑)

 

さて、それらの本に書かれているような発想法をマスターすることによって0→1発想のできる、起業家になれるのでしょうか?もちろん、会社を設立する事は手続きさえすれば誰でもできる事ですが、新しい価値を生み出す事ができる起業家になれるかという意味では、発想法をマスターするだけでは難しいと思います。

 

先に述べた東レのCTOの話で、「私がワクワクするテーマならR&Dを継続する」という話がありました。ここで言う“ワクワク”とは何に対する“ワクワク”なのでしょうか?難題に取り組む事自身にワクワクするのでしょうか?もちろんそういう人もいるでしょう。ただ、私が考えるにその開発した技術、製品あるいは事業によってより便利になった未来に対してワクワクするのだと思います。

 

つまり、「今よりもみんなにとって良い未来を創りたい」という思いが強い人が0→1を実現できる人なのだと思います。逆にこの思いが強ければその思い自身が、

 

「足らないものがあったとしてもそれを補って実現するんだ。実現する必要があるんだ」

 

というモチベーションになるのだと思います。例えば、

 

イーロン・マスクは“持続可能な社会”というコンセプトを実現する事に注力し、テスラモーターズという電気自動車の会社や、何回も使える垂直離着陸型ロケットを世界で初めて実現したスペースX社を立ち上げました。如何に有能なイーロン・マスクであっても、従来型の車両工場とまったくことなる工場を軌道に乗せることは至難の業でした。その為に、現場で寝泊まりまでして陣頭指揮を執ったと言われていますが、そのようなことは、「“持続可能な社会”という未来を創るのだ」という強い思いがあって初めてできた事だと思います。

 

ジェフ・べゾスは“あらゆる品物をインターネットを通じて提供し、消費者の利便性を高める”というコンセプト実現する為にAmazonを立上げ、事業が軌道に乗り始めた直後は、大手の書店チェーンによってすぐに駆逐されるだろうと噂されていましたが、自身のコンセプトを実現する為に果敢に投資を続け、不動の地位を獲得しました。

 

ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは技術に長け、“地球上のあらゆるものを検索可能とする”という途方もないコンセプトの実現を目指しました。お金儲けについては得意ではない彼らでしたが、彼らの思いを実現する為に、なんとか広告ビジネスと言う道を開く事ができました。

 

彼らは優れた人物ではありますが、ここに述べたような「今よりもみんなにとって良い未来を創りたい」という思いが無ければ今の位置にはたどり着いていないと思います。

 

今述べた人たちは、既に雲の上の人のような存在になってしまっているので、もう少し身近な例を挙げたかったのですが、良い例が見つかりませんでした。。。ただ、私が警鐘を鳴らす必要があると感じていることは、日本の企業の経営者に、このような崇高な未来を思い描いている人がどれだけいるのだろうという事です。日本には高い技術力を持つ製造業の会社が大企業だけでなく中堅・中小も多数存在します。彼らは顧客からの厳しい要求にこたえられるよう技術を磨き続けています。十分か不十分かは別として、AIなどの活用にも積極的な姿勢を見せている企業も多数見受けられます。

 

しかしながら、新しい未来を自ら描いている企業はどれだけいるのでしょうか?このような問いに対する統計的データはありませんから、正確な答えは私にはわかりません。しかし新しい未来を描くということは、目線を少し上に向けるだけですから、それほど難しい事ではありません。個人的には日本人がその気持ちを持つことができたら鬼に金棒だと思っています。

 

デジタル化が進み、AIがどんどん人に替わって仕事をする世の中になりつつありますが、これについて先に説明した弁証法的な考えを適用すると、

 

「AIによって人の仕事はどんどん奪われてしまうかもしれない」

 

という「アンチテーゼ」に対して、AIにより便利になり余裕ができた時間を使って人間は、AIにはできない“何を開発するか”という最初の発想に注力し、多くの人が働く喜びを得られる世界を作り続ける事が、人間の使命なのだ・・・と言えるのかもしれませんね。