62.脊髄反射は控えめに

突然ですが皆さん、「脊髄反射」の意味をご存知ですか?本来は以下を意味する言葉です。




“大脳皮質を経ないで、脊髄にある反射中枢を介して起こる反射。膝蓋腱反射、アキレス腱反射など”

(大辞林より)

 

しかし、最近ではこれが転じて、よくよく考えもせず、即座に反応するネットでの反応を揶揄する表現として使われています。政治家や芸能人の発言に対して反射的に批判的なコメントをツィートとしたりそれをリツイートしたりして、よく炎上を起こすもとになっています。つい先日は、この脊髄反射的なコメントが逆炎上し非難を浴びて取り下げるような結末になったようなことも目にしました。有名な例で言うと、安倍元首相が辞任の記者会見を開いた時に、アーティストの松任谷由実さんがラジオで以下の様にコメントしました。

 

「テレビでちょうど見ていて泣いちゃった。切なくて。私の中ではプライベートでは同じ価値観を共有できる。同い年だし、ロマンの在り方が同じ。辞任されたから言えるけど、ご夫妻は仲良しです。もっと自由にご飯に行ったりできるかな」

 

これに対して、普段から反安倍の考えを持っていた京都精華大学の専任講師・白井聡氏が「脊髄反射」的に以下の様なコメントをFacebook上にコメントしました。

 

「荒井由実(松任谷の旧芸名)のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご本人の名誉のために」

 

流石にこのコメントはひどいという事で、非難を浴び、結局白井聡氏はコメントを削除することになりました。このように、自身の考えに沿わない意見やコメントに対して「脊髄反射」的に罵声を浴びせる事は、ヘイト以外の何物でもなく、厳重に慎むべき事だと思います。さらに私がこのような現象について看過できないと思う事は、往々にしてこのようなコメントはそもそも頭の良い人などが脳停止した結果発せられることが多いという事です。つまり、もともとお勉強ができる人の言葉なので一定の影響力を持ってしまうわけです。

 

このような発言は何故繰り返されるのかについて考えてみたいと思います。このような十分な考えを伴わない発言が無造作に発せられる理由の一つには奢りもあると思います。大学の先生や教授などは、恐らく自身を優秀な人物とカテゴライズしているでしょうから、その自身と相反する意見を見聞きすると反射的に否定してしまうのでしょう。芸能人なども一定以上の人は自分の意見を聞いてくれるという思いもあるのか、同様の傾向がみられる人がいますよね。(トップクラスの人になると、失言によるネガティブインパクトの方が大きいので、控えめに発言する傾向が最近はありますが)

 

個人的には、自身のコメントを発する前に何故もう少し考えないのかなと不思議に思います。実は私は友人が以前NewsPicksというキュレーションサイトの会社で働いていて、そこのサイトにあるニュースに積極的にコメントを入れてくれと頼まれた経緯があり、興味があるニュースについてはコメントをするようにしています。そして先日NewsPicksに以下の様な記事が載りました。

 

「政府系の日本政策投資銀行が5月に決めた日産自動車への融資1800億円のうち、1300億円に政府保証をつけていたことが分かった。仮に返済が滞れば8割を国が実質補填する。大手企業への融資に国民負担を伴う可能性がある保証を付けるのは極めて異例な対応だ」

 

これに対して早速、

 

「事実なら、とんでもない話!」

 

とのコメントが寄せられ、これに対し多数の“いいね”が上っていました。私はその反応に少し違和感を感じてしまいました。平時において企業努力が足らなくて倒産していく会社を国が補助する必要はないかもしれませんが、しかし現在はコロナ禍で国全体の経済が傷んでいますし、自動車産業はすそ野の広い産業ですから、当件は日産のみならず多数の中堅・中小のパーツメーカー等に波及する問題です。他の中小零細を持続化給付金で救うのと同様、支援をすることは当然だと思います。また、日本政策投資銀行は債券を発行し、これを財源としています。多くは財投機関債というものですが、これについては日銀も積極的に買い入れています。

 

もしもしばらく時間がたって、政府が「コロナ対策で財政がひっ迫してきたので増税が必要」などと言ってきた時には、これは100%嘘ですから、これに対しては猛反発するべきですが、日本政策投資銀行が融資したタイミングで騒ぐ話ではないです。ちなみに、なぜ100%嘘と言えるかと言うと、日本政府のバランスシートは負債(国債等)と資産が均衡しており健在な状態だとIMFからも評価されていますし、今回のコロナ対策で発行した国債は殆ど日銀が刷ったお金で買い入れていますから誰も痛んでいません。

 

一方、このニュースとは視点は異なりますが、同様にNewsPicksに載った記事について、「脊髄反射」的に反応せず冷静に分析する事により、私のような凡人でも鋭い予想ができたという(これは若干、自慢もありますがw)例を紹介させてください。以下は記事の抜粋です。

 

「米オラクルが中国の動画投稿アプリ「TikTok」の一部事業に買収提案を検討している。事情に詳しい関係者が明らかにした。マイクロソフトに対抗する。 2020/8/18」

 

このあと、米国政府もこの案に肯定的な発信があったことから、「トランプがシリコンバレーにすり寄って票稼ぎしているだけだろ!」的なコメントも出ていたのですが私は以下の様に考えました。

 

“米国政府はTikTokが個人データを盗んでいる事実を掴んでいるはず。つまりTikTokは悪意を持ってデータを盗んでいると米国政府は認識している。その場合、米国企業が買収したとしてもC国共産党の言うがままに動く社員がいたらリスクは防げないから全員の身体検査が必要だろう。またシステムインフラもすべてチェックしないと安心できないだろう。しかしそのようなチェックを全てするには膨大なコストがかかる。それであるならば社員もシステムインフラすっかり置き換えて、TikTokのユーザーとアプリだけを引き継いだ方が早いのでは。そう考えた時に、クラウド事業が順調なMSよりも、クラウド事業が順調とは言えないオラクル社がTikTokユーザーを引き継ぎ、余っているクラウドリソースの稼働率を上げる事ができるもってこいの案件なのではないか?”

 

このようなコメントをした数週間後に、「オラクルは自社のリソース上で全てのデータを管理する方針だ」との旨の記事が発信されました。これには一部の企業経営者の方々が反応してくれて“いいね”をもらいました。

 

私の自慢話はこのくらいにして、なぜ頭の良い人も、自身の価値観や既存の知識のみに偏った一方的な意見を「脊髄反射」的に発するのかについてに話を戻したいと思います。私は、この理由を

 

“よりよい世界の追究に対する怠慢”

 

だと考えています。ちょっと結論を急ぎ過ぎたかもしれませんので、順を追って説明します。ある人がメッセージを発するとき、考えなければならないことは聞き手がどう受け取るかです。聞き手の関心事や、聞き手にとって意味のあるメッセージ以外は聞き手にとって、そのメッセージの価値はゼロです。つまり、「脊髄反射」的にメッセージを発する人は基本的に自分の事しか考えられない人なのでしょう。本人は自身が辿り着いた主張を述べている。その内容は正しい。なのでメッセージを送られた方がその正しさに気付くべきなのだ。と思っているのかもしれません。本当に正しく、意味のある事を相手に伝えたいときは少なくとも以下のステップを踏んだうえで話を始めるはずです。少なくとも私はそうしています。

 

・まず自分の理解が間違っていないか再確認する。
・聞き手がどのような認識をもっているかを想像/確認する。
・どちらの認識が正しいかを考える。
・自分の認識が正しいと思った場合、どのように伝えたら聞き手が理解し、同意してくれるか考える。

 

以上4つのステップがクリアされた場合は相手に伝えます。クリアされなければ話しても無駄なので話しません。あ、たまにネットじゃなくて対面の時は我慢できなくて、主張を言い放って喧嘩になっちゃうときありますけど・・・。その時は100%の確立で後悔します。。。(笑)
私が言いたいことは、お互いが理解し合って同じ方向を目指すようになるには時間がかかるという事です。それでも同じ方向を向いてもらう価値があると信じるなら、つまり皆が価値を共有できる「よりよい世界」にたどり着くために必要な議論であるならば、時間をかけてでもやりぬく覚悟が必要という事です。この過程を経ずに一気に自分の主張に進みたいという欲望は非常に危険で、それは第二次世界大戦前に、共産主義的思想を持つ尾崎秀美をはじめとする輩が、政府に大陸進行をけしかけて大戦に突入させたような行為にもつながりかねない危険性をはらんでいると思います。その行為は「敗戦革命」呼ばれ、つまり国の政府はわかっていないから、わざと無謀な戦争に突入させて“敗戦”させ政府の首脳は責任を取って総入れ替えされ、共産主義化されることを狙ったものです。

 

理解、説得、合意のプロセスを経ない一方的な主張は、時には人の命よりも優先されてしまう危険をはらみます。だからこそ逆に、自分の主張は正しく、皆と共有したいと思うのであれば、時間をかける覚悟をする必要があります。しかし現実の世界では、合意しなくてはならないことは”人道的な正しさ”と言うコアな部分に限定され、他は、ビジネス的に条件を設けて合意する話であり、それ以上は踏み込まず各々の尊重すべきエリアとして距離を置き、互いに尊重するという世界が健全な姿だと思います。

 

グローバリゼーションの進みが鈍り、最近は各国においてNationalismが台頭しつつあります。この現象は、今述べた通り、共有できる部分は共有するけど、相いれ倍部分は踏み込まず、お長い距離を置きつつも尊重するという考えが進んできたのだと感じています。一部ではこのような動きを、“トランプ化”などと揶揄する向きもありますが、私は世界は正しい方向に進んでいると感じています。