15.事なかれ主義はバカの始まり

突然ですが、読者の皆さんは「職場の和」は大事だと思いますか?
もちろん、職場のメンバーが目標や価値観を共有して、お互いが補完しあいつつ職場の目標を達成するという意味で言うならば「職場の和」は最重要と言ってもよいかもしれません。
しかし一方で、無条件に社員間の衝突を嫌う人がいます。経営者であってもそのようなタイプの人を何度か目にしたり耳にしたりしたことがあります。皆さんも目に浮かぶ人がいますか?



 

さて、どんな人が目に浮かんだでしょうか?
これは、あくまでも私の経験上の印象ですが、サラリーマン社長や2代目以降の一族経営者、または上司受けの良い人なんかもその傾向があるかもしれません(但し、直属の部下にだけは厳しかったりする人もいますが)。100%この傾向にある訳ではありませんが、衝突を嫌う人は、0→1ができない人が多いなと感じています。もちろん、0→1ができなくても、1→10ができれば会社に大きく貢献できますから、全員が0→1をできる必要な無いと思っています。
しかし、これだけグローバルがフラットにつながり、変化が激しい世の中にあっては1→10だけでは生き残りが難しく、常に新しい事を考えたり、非連続な成長の手段を考える必要があります。その為には0→1の発想ができる人が重要になります。

 

無条件に衝突を嫌う人の特性を少しお話ししましたが、衝突を嫌いすぎると何か問題があるのでしょうか?私は、無条件に衝突を避け続けることによって以下の事が起こると考えています。

 

・考えなくなる
・冒険しなくなる
結果が出なくなる

 

これらについて、身近な例を挙げつつ考えていきたいと思います。

 

なぜ“考えなくなる”のか?
これは企業内の話ではなく、小学校のPTAを経験した時の話です。正確に言うと、PTAの任期が終わり、OBとして懇親会に参加した時の出来事でした。

 

その小学校では毎年PTAが主体となって夏祭りを催していました。これは、PTAのメンバーにとっては結構な負荷になる仕事なのですが、そもそも発端は、子供たちに楽しい体験をして欲しいという、先輩PTAがいて、それが子供たちにも喜ばれて紡がれてきたものでした。なので、PTAのメンバーは皆、どうしたら子供たちや、その他の両親が楽しめるかを一生懸命考えて手作り感満載の祭りを毎年演出していました。
なかでも、カレーとかき氷は人気のメニューだったのをよく覚えています。ところが、、、、

 

「今年はカレーとかき氷は廃止しました」

 

という言葉が耳に飛び込んできました。一瞬耳を疑いつつも、その理由を尋ねると、

 

「カレーは前日からの仕込みが必要で、お母さんPTAの負荷が高すぎる」
「かき氷のスプーンはストローの先を切ったもの。プラスチック問題が叫ばれている昨今、非難される可能性は避けたい」

 

というものでした。
この時のPTA会長が、一切の衝突やもめ事を避けたがるタイプの人だったのです。
ご経験のある方はご存知と思いますが、仕事をしながらPTA会長をするとなると、その負担は相当なものなので、余計なもめ事を避けたい気持ちは理解できます。しかし、もめ事を避けたいがために、本来の目的である

 

“子供たちに楽しい経験をして欲しい”

 

という目的が削がれてしまっては本末転倒です。
共働きが増えている昨今、お母さんPTAの負荷を考慮したカレーの廃止は、まだ理解できます。しかし、かき氷の件だけはどうしても理解できませんでした。

 

我々が住んでいたその地域では、ストロー等のプラスチックゴミは“燃えるゴミ”として分別していました。その地域のごみ処理場の設備が拡張されていて、高圧で焼却すると同時に有毒ガスを除去する機能を備えることができるようになり、そのような分別になりました。さらにはごみを燃やして出た熱を発電に利用するなど、かなりエコを意識した設備になっているのです。これらの設備は公共施設ですから、当然我々の税金によって作られたものです。

 

お気づきになられましたか?
そう!その地域では、ストローに関してプラスチックごみ問題が誘発される可能性はないのです!ただもめ事を避けたいという一心で、考えもせずに子供たちの楽しみの一つを排除してしまったわけです。
まさに、“無条件に衝突を嫌う事”が、“考えなくなる”ことにつながる一つの例と言えるでしょう。

 

なぜ“冒険しなくなる”のか?
この流れで、こちらもPTA(正確には保育園父母会理事会)関連の例をお話しさせて頂きます。これは私が父母会理事長をやっていた時の話です。

 

ちなみに、私はそもそも父母会やPTAに積極参加するような人ではありませんでした。たまたま子供のお迎えの時間をめぐって園長と大喧嘩してしまってから、逆に園との会話が増えるようになり、保育園側の大変さも理解するようになって徐々に考えが変わったという経緯があります。私は東京在住ですが、もともと茨城の田舎から出てきた私が、地域のコミュニティに参加できるようになったのも父母会やPTAのメンバーになって初めてできたことなので、運命の妙を感じてしまいます。

 

さて、そんな経緯で私は、なるべく園と父母にとって良い事を取り入れたいと、新たな取り組みを積極的に行っていました。しかし、それをあまり快く思わない人もいたのです。それは、私より古い代の理事長さんでした。
まあ、私が「目立ちたがり屋だからやっているだけだろう」という思いもあったのかもしれません。。。それは、、、否定しませんが(汗) ただ、明確に言われたのは

 

「あまり新しい事をやると後任が大変になる。だからなるべく変わらぬことをしたほうが良い」

 

という事でした。
何なんですかね?父母会理事長って罰ゲームなんですかね?私は別に理事長になることを熱望していたわけではありませんが、なったからには園児や両親にとって良い事をすることが目的になるのは当然だと思います。

 

これは保育園の例ですが、会社であればなおの事、変化に対応しないと存続の危機に陥ってしまうわけですから、これまでやってこなかったことをやる事(冒険する事)の重要性は高いと思います。

 

皆さんはどのように感じられましたでしょうか?
もちろん、これまでとは違う試みをすることは、過去を是とする人々からすると鬱陶しくて、衝突の元となるかもしれませんが、高度成長がとっくに終わってしまった日本においては、新たな取り組みをしないことは、存続をあきらめることと等しいとも言えるでしょう。なので0→1の発想が必要なのだと思います。先に述べました通り、もちろん1→10も重要ですし、そちらの方が短期的に見た経済的効果が大きいことも事実です。但し、生き残っていくには0→1は必須であり、且つなにより重要なのは、0→1をできる人は限られていて、その人からその機会を奪うことは、その人の能力を奪うか、辞める決心を促すことにつながってしまうという事です。
人材強化は経営の最大課題の1つでもありますから、社員の和だけを重要視することにより、優秀な社員を失う事は看過されるべきではないと思います。

 

そろそろまとめに入るべきところなのですが、エンジンがかかってきてしまいました。もう少しお話しさせてください!ダイバーシティという言葉がありますよね?日本語では“多様性”と訳されます。多様な価値観を会社の文化として取り入れることを推進している考えなのですが、単に女性の役員登用や外国人登用を進めているだけで、本質的な取り組みになっていないケースも多いように感じます。過渡期においては、

 

“同じ能力であれば女性を先に昇進させる”

 

という考えもありだと思いますが、劣っていても登用されているような。。。。これも上からダイバーシティを促進せよと言われているから、事なかれ主義というか唯々諾々と進めてしまっていることの弊害だと思います。

 

インターネットにより情報弱者が少なくなっている昨今においては、個人の趣向も細分化され、つまりは市場も細分化され、その中で継続的に利益を上げていくためには、細分化された価値観を理解する文化や体力が必要なので、様々な価値観を持った人を登用しようといった、会社の存続を当事者として考える人にとってダイバーシティは当然の帰着点の一つなのだと思います。しかし形式的に遂行するだけではこの目的は達せられないでしょう。

 

さらに、SDGsやESG等、世にはびこるこれらの横文字に盲目的に追従するのもやめるべきだし、形式的に対応することはもっとやめるべきです。これらはコストがかかりますから体力を消耗するだけです。結果競争力が削がれてお客様に価値を提供できなくなったら意味がないんですから。

 

なので、考えて考えて考えて、そして

 

社会と社員の幸福の為に、空気を読まずに邁進しましょう!!

 

極端ですかね(笑)

 

いずれにせよ、強い思いがあったらある程度の衝突は避けられません。なので、これを無条件に避けることはやめて、楽しめるように工夫することが大事なのだなと感じています。
逆に、この工夫が無いと衝突の際に寄り切られてしまう事もありますので要注意。それを私は女性だけの部門の責任者となったときに工夫の必要性を強く感じました。(汗)次回はそのあたりの苦労話などをテーマとしたいと思います。