33.孫氏の兵法の応用について考えてみた(その3)

“孫氏の兵法の応用について考えてみた”シリーズは本日で3話目ですが、本日取り上げるのは、「孫氏の兵法 作戦篇」内の名言、



 

“兵は拙速を聞くも、未だ巧久しきを睹ざるなり”

 

です。この言葉の意味するところは、簡単に言えば、

 

“戦争は短期決戦に限る!”

 

という事です。以下にこの言葉に関する一連の文章を現代語訳したものを記載します。

 

“それ故に私は戦争に於いては、例え戦果が不十分な勝利であっても、速やかに終結を導くことによって、戦争目的を達成したいという事は聞くが、これに反し、完全勝利を求めて戦争を長期化させ、結果が良かった例をいまだ見たことが無いのである。”

 

“それ故に武力行使に伴ってすれば、必ず生ずる前途のような不可避の弊害・危険性を理解・認識しない者は、有効適正な戦争指導・用兵法も理解しえないものと言える。”

 

“国家が戦争の為に窮乏するのは、遠距離に補給、輸送するのが原因である。遠隔の戦地に対する補給は国民を疲弊させる。”

 

最後の文節にあるように、戦争中はロジスティクスを確保し、物資を戦場に供給し続ける必要があります。一方、軍人そのものは利益を生み出す行為はしない訳ですから、長期に及べば及ぶほど、国民が被る負担は甚大になってしまうことは明らかですよね。

 

近代の戦争を振り返ってみるとさらに分かりやすいかもしれません。例えば約10年にも渡って戦力の逐次投入を続け、国の財政と国民の精神に負担をかけ続けた「ベトナム戦争」は、米国にとっての汚点の一つですが、一方、中東の小国、クウェートに侵攻したイラクを撤退させる事に、目的を限定した「湾岸戦争」は国内では高い評価を得て、当時の米大統領(パパ ブッシュ)の支持率は90%にまで達しました。もっとも彼は、その後公約を破って増税してしまったために2期目を務めることはできなかったのですが。。。

 

日本の戦争についても振り返ってみましょう。盧溝橋事件をきっかけに始まった支那事変(日中戦争)は広大な中国を敗走する蒋介石を追い回し、泥沼の長期戦に踏込んだまま、大東亜戦争(太平洋戦争)になだれ込み、最終的には無条件降伏を受け入れることになり、そのときの国民が被った負担が甚大であったことは誰もが知るところです。
これと比較して、例えば、日清戦争は日本が勝利する訳ですが、その時に割譲された遼東半島を清に返還するよう、フランス、ドイツ、ロシアから要求されました(三国干渉)。この時に強硬に領土権を主張し、この3国と戦争には踏み込まず、これを受け入れたことは賢明だったと思います。

 

つまり、戦争は政治的目的を明確にして、これを達成することに注力すべきであり、戦争の勝利自身を目的としてしまうと、失うモノの方が大きくなってしまうので、これは避けるべきだということです。

 

さて、この考えが応用できるビジネスの領域ってなんでしょうか?私は、最も分かりやすい適用エリアは“キャンペーン”だと思います。“キャンペーン”と言うと、ノベルティを配ったり安売りをする期間のみをイメージする方がいらっしゃるかと思いますが、本質的な意味はそうではありません。キャンペーン(Campaign)を辞書で引くと以下の訳語が出てきます。

 

・(目的達成のために熱心に行われる一連の)組織的運動/活動
・政治/選挙運動
・軍事行動

 

ビジネスの世界においては1番目の意味で使っていることになりますが、つまりは

 

“認知度やマーケットシェア拡大等の明確な目標の達成を実現する為の一連の活動”

 

という事になります。この活動は、日常の営業活動とは明らかに一線を画しており、限られた期間内により消費者に浸透することを期待するものです。例えば、インターネットが日本に広がり始めた時期に、Yahoo-BBが、路上でルーターを無料で配りまくって、瞬く間にADSLの市場を獲得したことを覚えている人は多いのではないでしょうか?これはまさに“キャンペーン”であり、この活動がもし、ルータ1台 500円でお金のやり取りをしながら広げていったとしたら、だらだらと赤字のルータを売るだけで、期待するシェアは獲得できなかったかもしれません。

 

この例が、“短期間にシェアを獲得する”といった、明確な目的を持った集中的資金の投入が功を奏した例であることを考えると、今回取り上げた”孫氏の兵法”内の名言が意味する「戦争は短期決戦に限る!」という事とキャンペーンは、やはり親和性が高いと感じます。

 

さらに、今回の“孫氏の兵法”の名言から気づきを得られる範囲を広げるために、逆のパターン、つまり長期化して失敗したパターンを考えてみたいと思います。

 

私は、吉野家、すき屋、松屋が繰り広げた牛丼の安値合戦は、まさに業界を消耗させただけの失敗例だと思っています。興味があったので少し調べて見ると、この不毛の戦いのきっかけは、2003年に狂牛病問題で米国の牛肉が輸入できなくなり、吉野家が牛丼販売停止に追いやられたことがきっかけのようです。その時にオーストラリア産牛肉を輸入し、攻勢をしかけたすき屋がそのまま牛丼市場を席捲すべく、安値による振り落とし合戦に突入してしまったのです。

 

競合の存在を認めず、市場独占を狙う活動は、時にはこのようなチキンレースを引き起こし、自社を含む業界全体を疲弊させるだけに終わるようなことが起こりがちです。それよりも競合の存在を認め、その中で切磋琢磨していく方が様々なイノベーションも起こり、業界自体が活性化する可能性が高まるのだと思います。

 

しかし、あの安値合戦のさなかに安値を辞めるのは勇気のいる事です。あの時に、チキンレースから抜け出すために取れたオプションとしてどんなことが考えられるのでしょうか?記憶が少し曖昧なのですが、チキンレースのさなかに少し値を上げたりしては、やはり売り上げが下がってしまい、またチキンレースに戻るといった形で、試行錯誤が繰り返されていたように思います。なので、これまでの店舗の形態を維持したまま、値段を上げるといった行為はリスクが高すぎてできなかったのでしょう。

 

ここからは私の考えですが、例えば吉野家であれば、素材は少し高給だけど割安な“吉野家プレミアム”等、少し趣向の違うブランド店を複数種類出して、既存市場とは競合しないオプションを探すといった行為はリスクを避けつつ、新たな市場を作る有効な手立てだと思います。その業態が成長すれば、牛丼市場そのものを膨らませる事にも貢献できるでしょうし、また新しい業態の店で、キャンペーンとして昔ながらの安い牛丼を出して、こっそりと市場を移し替えてしまうようなトリックも使えるかもしれません。
モスバーガーの赤モスから緑モスへの移行は似たような試みですよね。

 

さて、ここまで短期決戦の原則を破って失敗した例をご紹介してきましたが、一方で、その原則をうまく活用した例についてもご紹介したいともいます。実はこれ私の経験談なのですが、目的を特定して、限定的な戦いに挑むという意味では、一つの応用例と思える事例がございます。

 

当時私は、コンピュータ上のデータのバックアップを取るソフトウェアを扱っておりました。そして、その新製品を日本で展開するときのプロダクトマネージャを経験させて頂きました。予めお断りしますが、この事例は、私が一人で考えて進めた取り組みではなく、皆で知恵を出し合って進めたものであり、私はそのメンバーの一人という立場からご紹介させて頂きます。

 

キャンペーンとは、通常の営業ではなだらかに上がっていく認知度を短期間に、上のレベルに持ち上げるために行うものだと言えます。バックアップソフトはITを活用している企業にとっては必須のToolであるために、それなりに競合も多数存在し、シェアも拮抗しているのですが、使い慣れた他社のバックアップソフトを切り替えるという決断をする企業はあまりいません。

 

そこで我々チームは、既にお付き合いのあった大手のSIer様に新製品の差別化要素をご理解頂いた上で、独占販売権をご提供するオファーをしました。そのSIer様は大規模なシステム提案を多数扱っており、そのシステムを構成する一部として我々のバックアップソフトを提案します。エンドユーザーは現在使っているバックアップソフトを切り替える訳ではなく、全く新しいシステムを導入する時に、その一部として我々のバックアップソフトがあるだけなので、あまり抵抗なく受け入れることができます。またこの新しいバックアップソフトは運用が容易であったために、SIer様が自身の提案を差別化する要素としても活用できたために、独占販売のスキームはWin-Winの関係を作り出すことができた訳です。さらには、これはたまたまですが、以前からこのSIer様の主要な拠点に対して旧バックアップソフトの勉強会を多数行っていたことから、現場の営業/エンジニアとのパスができており、彼らが提案する際に問い合わせがしやすい土壌が出来上がっていました。なので、安心して提案できたのでしょう。

 

このような事から、我々は広い市場に対して膨大な投資をすることなく、一点集中で効率的なキャンペーンを打つ事ができました。私は個人的な理由からその製品がリリースする前に退職してしまったのですが、製品の売れ行きは好調だったそうです。

 

ここまで、キャンペーンの失敗例と(ささやかな)成功例をご紹介してきましたが、いずれにせよ、あるレベルの認知度を、一つ上のレベルの認知度に引き上げる事は多くの人・モノ・金が必要になりますので、目的を特定して短期で見極めをつける事が重要であるという事は、孫氏の兵法に通じるものだと言えるでしょう。

 

ただ、キャンペーンというものは繰り返し言う通り、認知度を上げるためのものですから、注目を集める必要があります。つまり、競合に対して宣戦布告をしているようなものです。従って争いに巻き込まれるリスクもある訳です。できれば争いは避けたいですよね。ということで、次回のテーマは・・・

 

“戦わずして勝つ”

 

です。