32.孫氏の兵法の応用について考えてみた(その2)

前回は、「孫氏の兵法」第一節の冒頭部分をひも解くことによって、この古典が現代のビジネスにも十分応用できるものであることを検証しました。そして、本日以降の数回に渡っては、「孫氏の兵法」の中にある比較的ポピュラーな名言に絞って、現代ビジネスへの応用を考えてみたいと思います。
本日取り上げる名言は、



 

“兵は詭道なり”

 

です。この名言に関する現代語訳を以下に記載します。

 

「戦争行為の本質は敵を欺くことにある。それ故に実力をもっていても、持っていないごとく見せかける。積極的に出ようとするときは、消極的であるかの如く装うべきである。近くにいるときは遠くにいる如く思わせ、遠く離れているときは近くにいる如く思わせよ。餌を与えて敵を罠に掛けよ。混乱した様を示して、これを討て。敵が戦力を集中させたときは対戦の準備を成せ。ただし強大な方面の敵との交戦は回避せよ。」

 

つまり、戦(いくさ)では敵を騙くらかすことが大事と言っているわけです。日本だと、戦(いくさ)と言えば“武士道”をイメージされる方も多いと思われますから、この“騙す”という考えに抵抗を感じる人も多いかもしれません。私も日本人であり、人を上手に騙すことは得意ではないので、この考えがどのように我々のビジネスに活用できるかを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

 

まず、“実力をもっていても、持っていないごとく見せかける”の部分から考えてみます。
最初の例は、上記の文とは逆の意味のケースで“実力が無くても、持っているように見せかける”という例から触れたいと思います。(相手をだまして優位に立つという観点では同じだと思いますので)

 

これ、個人的にはすごく重要だと思っています。特にスタートアップ企業が急成長を遂げるためには、資金が必要です。ベンチャーキャピタリスト等から必要なお金を集めるためには、実力以上に魅了的な会社だと思わせる必要がある訳です。ホリエモンさんも、よく“ハッタリ”が大事というのはこのことです。ただ一方、“ハッタリ”を信じてもらったからには、結果で返すという責任が生じることはきちんと認識する必要があるのは当たり前の話ですね。起業家でなくても、ものを売るときには、多少の誇大広告をしてしまうことがあります。しかしそれが過ぎると、売った後に、「話が違う」という事でトラブルに陥る危険が生じます。従って、この“欺瞞”の手法は、ビジネスシーンでも大いに活用できるとは思いますが、同時に結果に責任を持つ、つまりスタートアップの例では、「絶対に成功させる」という強い思いと「緻密な事業計画」が必要となりますし、“モノの販売”の例では、誇大広告の印象にかなうぐらいのサポートをする(少なくともその覚悟で誇大広告する)、という姿勢が日本人的には受け入れやすい考え方じゃないかなと思います。最初の入り口をくぐる(注文をもらう)時に多少の誇大広告があったとしても、その後のお客様の評価基準はサポート等の満足度に替わります。これにしっかり答える覚悟と実行が伴えば継続的にお付き合いは頂けるはずです。

 

次に、“積極的に出ようとするときは、消極的であるかの如く装うべきである。近くにいるときは遠くにいる如く思わせ、遠く離れているときは近くにいる如く思わせよ。”について考えてみます。

 

これからご紹介する例は、意図的に情報を操作したわけではないですが、結果として相手が脅威に気付かないうちに、市場が逆転してしまったという興味深い事例です。これは、ビジネス書の名著の1つである、「イノベーションのジレンマ」からの引用です。
※出典:イノベーションのジレンマ 翔泳社/著者:クレイトン・クリステンセン

 

これは掘削機(ショベルカー)業界で起こった話です。
ショベルカーが生まれてから世に広がるまで、大手のショベルカー製造会社が採用した技術は“ケーブル駆動”というもので、土を掘る為の、あの大きな腕のような部分の各部位をケーブルで繋ぎ、それを伸縮させることで土を掘る動きを実現していたのですね。当時の主要なショベルカーユーザーは、運河やビルなどの大型の建物の為の基礎工事をする建設工事業社でした。大型の工事を効率的に進めるために、この主要なユーザーがショベルカー製造会社に求める主たる機能は、“作業半径”と“バケット容量”(一回でほれる土の量)であり、各大手ショベルカー製造会社はこの2つの機能を向上し続けることによってユーザーのニーズにこたえ続けていきました。

 

この市場に新規参入を果たそうと、ある会社が新しいショベルカーを開発しました。この新しい機械は、“ケーブル駆動”ではなく“油圧駆動”という技術を採用してこの市場への参入を試みたのですが、ユーザーが期待する“作業半径”と“バケット容量”においては、これまでの“ケーブル駆動”を採用するメーカーに全く歯が立たず、市場参入に苦しんでいました。生き残りをかけて様々な市場調査を経て、やっと見つけた市場は住宅工事市場であり、ここではそれほど大きな“作業半径”も“バケット容量”も求められないと同時に、住宅工事が行われる場所には、先の大型のケーブル駆動型のショベルカーは入っていけなかった(道が狭いために)ために、競合の無い市場だったのです。そしてこの市場のユーザーがもとめた機能は“速度”と“操作性”でした。

 

“油圧駆動”のショベルカーが出現してから20余年を経て、技術の進歩の結果、“作業半径”と“バケット容量”という2つの基準においては、この2つの技術(ケーブル駆動と油圧駆動)間の差は全くなくなりました。それどころか、技術の発展は目覚ましく、この2つの基準においてはいずれの技術も、お客様の要求を凌駕するレベルに達していたのです。
こうなると、大型建設工事業者がショベルカーを選択するときの基準にも変化が起こります。初期の2つの基準は概ねどこのメーカーも満たしているからです。そして新たに求められた品質基準は、故障率の低さでした。そして、機械の構造上、“油圧駆動”の方が圧倒的に故障率は低く、結果、市場は“油圧駆動”によって逆転されることになったのです。

 

このケースは、そもそも“欺瞞”を活用したわけではありませんが、結果として、かつての主要メーカーが注目する前に、新興メーカーが市場を奪い去るという興味深いケースだと思います。

 

少し補足しますと、かつての主要メーカーも“油圧駆動”に気付いていなかったわけではなく、技術研究はしていました。しかし当時の主要なユーザーの要求は“作業半径”と“バケット容量”であったために、そのニーズに応えるためには、“油圧駆動”に対して相当の技術革新が必要であったために積極投資はできなかったわけです。一方の“油圧駆動”メーカーは住宅工事業界という市場を見つける事ができたために、この技術に対する投資を継続する事ができ、20余年の間にイノベーションが起こり、ついには“作業半径”と”バケット容量“も凌駕する事ができた結果、市場の逆転が起こったという事です。

 

企業は、“自身の強み”と“市場”を様々な組み合わせでとらえて、継続的に新たな取り組みを続けていかないと、一生懸命に既存のお得意様の期待の応える努力をしていても、イノベーションによって一夜にして市場を失う危険があるという事を示唆した事例のご紹介でした。

 

さて、兵は詭道なりの次の部分、“餌を与えて敵を罠に掛けよ。混乱した様を示して、これを討て。敵が戦力を集中させたときは対戦の準備を成せ。”についても考えていきたいと思います。

 

ここでは、このような罠をどうかけるかというポイントではなく、このような事を仕掛けてくる輩もいることを考えて、備えることも重要だと捉えるべきだと思います。敵対的買収に備える“ポイズンピル”などはその一つになると思います。
また、いくら“欺瞞”に対応する策を講じたとしても、その“策”に関する情報が洩れていたら意味がありません。その観点でも、“守り”は非常に重要になります。情報セキュリティは日本でももっと重視されるべき事だと思います。

 

最後の、“ただし強大な方面の敵との交戦は回避せよ。”については、勝ち目のない競合と戦っても消耗するだけなので戦わないというシンプルな判断ですね。これについてはブログの“最強の営業(その3:勝率100%の提案活動)”で詳しく述べておりますので、興味のある方は是非ご覧ください。

 

実は、正直者(?)の私も小さな嘘で新しいビジネスを獲得した経験がありますので、この場を借りて自慢させてください(笑)

 

その案件はPC x1000台の案件で、当時の私にとっては大型案件でした。しかしそのお客様は国産のIT企業の系列会社であり、当然ながらメインコンペはその系列のIT企業でした。必ずしも、その会社のPCを購入しなくてはならないというルールがある訳ではなかったということで、新規獲得のチャンスかもしれないと、当時若手であった私は一生懸命提案していました。PCの場合はどうしても最後は価格勝負になってしまうのですが、なんど安値を提案しても、その直後にコンペはそれを少し下回った価格で提示してきます。さすがに、若手の私でも情報が洩れているなと察する事は出来ました。コンペはいつも私の提案価格の少し下を提示してきましたので、それほど余裕がある訳ではないのだろうと感じる事もできました。そこで私は、唯一私に情報を流してくれるお客様社員から、この日までにどちらのPCか決めないと上申が間に合わないというデッドラインを入手し、その日に合わせて大幅な値引き申請を社内でかけました。承認を得た”直後”にお客様担当者に対して、

 

「今提示しているのが、ベストプライスです。これ以上下げるとしても微々たるもんですが、せっかく頑張ってきたので1日ください。」

 

とお願いし、了承を得ました。その1日後というのはデッドラインの日です。恐らく、お客様内の内通者は、それほど大きな値引きは無いと踏んでその情報をコンペの会社に流していたのでしょう。実は大幅な値引きの承認を得ていた私は、締め切りの時間ギリギリにお伺いし、特価の見積書を提示しました。そしてその見積書を目にしたお客様の一人が目をむいて、

 

「ずるいよ~!!」

 

内通者が分かった瞬間でした(笑)。その後めでたくご注文を頂く事ができました。

 

笑っていただけましたか? 次回は「孫氏の兵法 作戦篇」内の名言、“兵は拙速を聞くも、未だ巧久しきを睹ざるなり”について考えていきたいと思います。