35.孫氏の兵法の応用について考えてみた(その5)

今回は、“孫氏の兵法の応用について考えてみた”シリーズの最終回です。取り上げるのは、「孫氏の兵法 謀攻篇」内の名言、



 

“敵を知り己を知れば百戦危うからず”

 

です。主要な部分を現代語訳した内容を見ていきましょう。

 

“敵を知り己を知れ
そうすれば百度戦っても危険に陥ることはないであろう
敵を知らず
己の事だけを知っているの出れば
勝ち負けの公算は五分と五分である。
敵を知らず
自分をも知らないのであれば
戦うごとに危険に陥ることは必定である。“

 

これをビジネスに置き換えて考えてみると、自社の強み弱み等を十分理解した上で、敵の状況も十分理解していれば、競合に打ち克つ事ができる。という意味になりますね。ビジネスに応用する際には、“敵”を競合他社と考えたり、“市場”と考える事もできると思います。自社と競合退社をよく理解して比較分析する手法としては、3C分析が有名ですし、市場を分析する手法としてはPEST分析が伝統的手法として知られています。最近ではWEBを通してダイレクトに消費者の動向を深く分析するA/B Test等の採用も広がっています。このような状況を鑑みると、“敵を知り己を知れば百戦危うからず”という考え方は、ビジネスとも非常に親和性が高いと言えそうです。

 

“敵”を競合他社として考える場合と、市場として考える場合について、各々もう少し具体的な例を挙げつつ考えていきたいと思います。

 

“敵”を競合他社として考えるケースでは、ささやかな例ではありますが、私の経験談をご紹介したいと思います。ある広告代理店を営むお客様に、PC Serverを提案する案件でした。当案件は、お客様は「価格の安い方を採用する」との判断基準を、明確に仰っていましたので、思い切った値引きをして提示しましたが、競合他社もすぐに応戦してきます。その競合会社は、これまでの対戦で、価格勝負の案件になった場合は利益に関係なく、勝つまで値引きをしてくることを私は知っていました。一方、私が所属する会社は利益重視の会社であったために、無駄な時間を費やすのはやめて、早々に勝負を降りて別の案件を探しに行くという判断をしました。

 

非常にシンプルな例ではありますが、“存続”を最重要視する孫氏の兵法と照らし合わせても、無駄に時間をかけて敗戦をするということは最も避けるべき事だという当時の判断は、賢明であったと思っています。

 

次に、“敵”を市場として考えた場合のケースをご紹介します。勝負に勝つためには、市場の流れを冷静に分析し、その流れに乗る必要があります。また、1:1の勝負と比較して、市場を克服した場合に得られる報酬は莫大です。ここでは、家具業界の覇者交代劇を振り返ってみましょう。

 

先にこの市場を支配した会社としてご紹介するのは、大塚家具です。1969年に創業した大塚家具は、当時の消費者が、結婚や出産、子供の入学といった「お祝い」に伴い家具は購入される、といった購買動向に注目した販売方法で成長を遂げてきました。最盛期の2005年度は連結売上高696億円計上し、大都市及び地方中核都市周辺に18店舗を展開しました。
販売方法の特徴としては、幅広い商品をそろえた広大な店舗を、アドバイザーが顧客に随行し販売する形態をとっていました。ある意味、自身の価値観で決めるのではなく、アドバイスに基づいて決める顧客層にフォーカスしていたと言えます。

 

次にご紹介する会社は、皆さんご存知のニトリです。実はニトリの創業は1967年と、大塚家具より古いのです。大塚家具が主要都市に集中していたことと比して、ニトリは日本全国の幅広い顧客層を対象としてきました。
販売方法の特徴としては、各部屋にコーディネートされた展示物を置き、その中から自分の好みのバリエーションを選ばせる形態をとっていました。つまり、自分の価値観で決める顧客層にフォーカスしていたとも言えるでしょう。この販売戦略で、2004年度には連結売上高1000億円を計上し、大塚家具抜き去り、2019年2月期は6081憶円。現在2032年度に3000店舗・売上高3兆円を目指して驀進中です。

 

明暗を分けたのは何だったのでしょうか?

 

大塚家具がターゲットとしたのは自分の価値観で決めないお客様。ニトリがターゲットとしたのは自分の価値観で決めるお客様。つまり顧客セグメントは異なっており、同じ市場で奪い合いをしていたわけではなさそうです。

 

以下のグラフを見て頂きたいのですが、時代が進むとともに日本の少子化は進み、婚姻率が下がり、一方離婚率は上がりました。つまり、”結婚や出産、子供の入学といった「お祝い」”という購買動機が減少していることが読み取れます。さらに、これらのグラフの角度は2000年ごろを境に水平に推移するようになりました。様々な解釈ができるとは思いますが、この人口構造の変化とともに、日本人の生活様式の多様化も進み、グラフが水平になった2000年ごろに臨界点を迎え、独自の価値観でモノを購入する層が多数派に入れ替わったのではないでしょうか?それに加えて、日本においては低所得者層が増えたこともニトリにとっては追い風になったと思います。何れにせよ、市場を克服すべき“敵”とみなしたときに、その大きな変化のうねりを巧みにつかむことができたのは、明らかにニトリだったのだと言えます。だから勝利を掴むことができたのでしょう。

 

孫氏の兵法の現代語訳の続きをご紹介します。

 

“それ故に、兵法に熟達したものは
敵の戦意が旺盛な時は避け、敵の士気が緩み
あるいは望郷の念に駆られたときを
攻撃の時期として選定する。
このような指揮官は
敵の心理的要素を掌中にするものといえる。
あらゆる意味において
味方の体制を整えて敵の乱れを待ち
また、平静な心を持って敵の興奮を待つ者は
敵の精神的要素を掌中にしている者といえる。“

 

我々日本人は、外国の人たちと比較して、心優しい人が多いですから、これを”敵“を倒す方策としてとらえることには抵抗があるかもしれません。なので、”相手“に取り入ることに、この考え方が応用された例を考えていきたいと思います。
どんな人でも、長い人生では良い時と辛い時があると思います。その中でも、特に辛い時期、四面楚歌になっているようなときに、唯一見方をしてくれる人がいたら・・・その人の存在は大事だと感じますよね。つまり、取り入りたい人に取り入るためには、適したタイミングがあるという事です。私は、M&Aにおいてそれを上手に駆使しているのが、日本電産の永守会長だと思います。永守会長は欲しいと思った会社には、必ず自ら声を掛けるそうです。しかし決して買い急いだりはしません。対象の会社の経営者が意欲満々な時に買収を迫っても強く抵抗されるだけですし、買収できたとしても高い買い物になるはずです。その為に、時には10年以上の時間をかけて交流を続け、そして、相手が自社の製品を世に広げるために、或いは事業を継続する為に、日本電産の力が必要と感じるその時を待ち、ベストの金額で買い取る訳です。もちろん、これまでのM&Aにおいてリストラを伴ったものは一件もないという実績も、買収される側の経営者の心のハードルを下げる事に貢献していることは間違いないと思いますが。

 

わたしがここで、心理的要素を掌中にするという事に加えて大事だと思ったのは、目的達成のためには焦らず、“長期戦の構えをとる”ということです。どんなに優れた経営者でも、相手の心を意のままに操ることは至難の業ですから、その“タイミング”を捉えることが大事になる訳です。逆に言うと、“長期戦の構えをとる”ことができる備えが重要なのだと思います。つまりそれは、多くの選択肢を持つことです。1件の買収に10年かかったとしても、同じぐらい魅力的な買収案件を10件同時に持っていたとしたら、毎年、いい買い物ができているかもしれません。多くの選択肢を持つことによって、変化のスピードが速い現在の経済環境においても、それに対応しつつ、時間をかけた交渉が可能になるのでしょう。

 

少し、“孫氏の兵法”そのものとは離れますが、交渉においては沢山のオプション(選択肢)を用意する事が非常に重要だと考えています。如何に敵の心理を把握したとしても、オプションが1つしかなければ攻めるタイミングは1つしかありませんが、複数のオプションがあれば攻めるタイミングも複数持てるわけで、そのなかでベストのタイミングをとればより勝率も高められるわけです。また、商談におけるオプションのみならず、商品の幅、お客様層の幅、対象とする地域の幅の選択肢(オプション)を常に広げる努力をすることは、経営の視点から言っても正しい事だと思います。その様な活動によって、その会社の価値をより多くのお客様にお届けする事ができる訳ですから。

 

さて、今回は5回に渡って“孫氏の兵法”がビジネスにどう応用できるか? という“思考のお遊び”を試みてまいりましたが、楽しんでいただけましたでしょうか?

 

ここまで戦略の古典を振り返ったきたので、つぎは新しいネタに目を向けたいと思います。次回以降は、最近の旬なソリューションを取り上げて、それを本当に会社の成長につなげる為に必要な事は何か?について皆さんと一緒に考えていきたいと思います。