48.40歳からの“お勉強”に対するモチベーション

勉強に対する姿勢は人によって様々だとは思いますが、年を取ってから勉強が楽しくなった、勉強したくなったという人は少なくないのではないかと感じます。読者の皆さんはどうでしょうか?ごく標準的な日本人は、学生時代は“義務”教育だったり“受験”だったりと受動的なきっかけで勉強をしていたケースが多く、勉強好きな人はそれほど多くない訳ですが、大人になってからの勉強は自ら興味を持ったことがきっかけで勉強を始める訳ですから、楽しいのは当たり前と言えます。



 

関心を持つ対象は、人によって様々だと思いますし、何を学ぶかも自由だとは思いますが、せっかく何かのきっかけで関心を持ち勉強するのであれば、学んだことは何かに活かしたいですよね。具体的な活動を伴わなくても、自身の意思決定の軸として生かすことができれば素晴らしい事だと思います。

 

いま私は、“学びを何かに活かしたい”と申しましたが、そこまで固く考える必要はないんじゃないかと考える方も多いと思います。しかし私にはそこに拘る理由があります。

 

1つ目の理由は、たまに学んだ知識をひけらかして、そのことを知らなかった人を蔑み、優越感に浸りたいだけの為に知識を詰め込んでいるような人がいて、私は単純にそのような人が嫌いだからです。

 

2つ目の理由は(こちらの方が重要なのですが)、間違ったことを学んでしまったときに、“学びを生かす”という考えが希薄だと、それに気づくことができないからです。ご存知の方も多いと思いますが、全ての本が本当の事を書いているわけではありません。特に歴史に関する本などは、学校で用いる教科書も含めて正しく表現されていないことが多いです。それは日本が敗戦後GHQに支配されていた時に主に教育やマスコミ関係は連合国内でもソ連側が深く携わったことも影響し、左翼的でかつ反日的な色が今でも強く残ってしまっています。

 

正しくない、偏向した情報を鵜呑みにすることは非常に危険なことだと私は考えています。なぜならば、そういった左翼的もしくは半政府的な人たちが最も嫌悪する“戦争”・・・その戦争は、正しくない偏向した情報によって誘発されたという、最も我々日本人が反省すべき過去があるからです。過去最も多くの犠牲者を出した太平洋戦争は、我々日本人が正しくない情報を鵜呑みにして、自ら飛び込んでしまったものなのです。これは“尾崎秀美”というソ連の管理下にあったスパイからの影響により、日本政府は開戦へと突き進んでしまったことを言っているのですが、後に彼はスパイ行為がばれて逮捕された後尋問され、検事調書の中で、

 

「理想として目指したものは“日本革命”だが、それにはまず支那革命中国共産党と組むんだ。日本を共和国とした後、ソ連中共との三者が東アジアの中心勢力となって、朝鮮、ベトナム、フィリピン、ビルマを社会主義化していく。これが世界革命である。そしてこのことが、日本の解放である云々」

 

と述べた記録がありますので、これは紛れもない事実です。
少し表現が分かりにくかったかもしれませんが、要は当時の日本を不利な戦争に引きずり込み、敗戦に追い込んだ後、当時の政権を転覆させ、傀儡を送り込み自陣に取込むことを画策していたという事です。

 

時代を現代に戻しますが、今でも偏向された情報が、書籍、マスコミ等で流布されているわけですが、先に述べた“学びを生かす”という考えが希薄ですと、情報が正しくないことに気付く事ができません。しかし一方、嘘を見破り正しい情報を得ることは、一朝一夕にはできません。もちろんここで私が信用できる学者や作家を皆さんにお知らせして、その方々の著書を読んでいただくのが手っ取り早いのですが、その場合は私が信頼できる人間であることが大前提になります。しかし私はそれをこのブログの中で証明する事はできませんから、ここでは読者の皆さんが自身の力で正しい情報を得るための一助になるであろう考え方を書かせて頂きます。

 

少し哲学的になってしまいますが、正しい情報を発信する人は、大前提として人として正しい考えを持った人になります。“正しい考え”の定義はテーマによって様々ですが、ここでは

 

「公益性の高い世の中を重視すること」

 

とさせていただきます。つまりより多くの人がメリットを享受できるような事を考えている人が“正しい考え”を持った人という事です。例えば大金を使ってヘリコプターを買い、自分だけが町に買い物に行けるようになるという選択はせず、そのお金で川に橋をかけて皆が町に行けるようにすると言ったような考えです。

 

このような正しい考えを持った人は、世の中の矛盾に苦しみます。なぜなら、世の中は必ずしも正しい人だけによって治められているとは限らないからです。良い世の中を創るためには仲間が必要です。その為には今の問題点や、正しい在り方を皆に伝えたいと思うはずです。その為に、その人は自身が述べていることが客観的に正しいと思ってもらえるようにするために、丁寧に伝えるはずです。具体的には主張に対して根拠をのべるだけでなく、その根拠の出所(いつ、だれが発信した情報か等)にも触れるはずです。

 

逆に、客観的論拠が示されずに、その著者の主張や、事実と称して書かれている内容が羅列されているような場合は疑うべきでしょう。客観的論拠とは、いつ、だれが、どこで発信した、もしくは記録したものかについての情報も付記されたものを指します。つまりその気になれば読者も自身で真偽を確認できるモノが提示されていれば、嘘をついているとは考えにくいわけです。

 

勉強するという事は、先人の知恵を学ぶということです。卓越した先人たちは、後世がより良い世の中になることを祈って知恵を残したのだと考えるならば、我々はまず自身が正しい考えに立脚し、正しい情報を学び、そしてそれを世の中に還元することができて初めて意味にあるものになると、私は考えています。従って私は“学びを生かす”という姿勢が重要だと思うわけです。

 

本日のブログのタイトルは“40歳からの“お勉強”に対するモチベーション“です。まあ、50歳でも60歳でも良かったのですが。今私が述べたように、”学びを生かす“といった事を話すと、

 

「自分が大志を抱く若者だったらいざ知らず、この年になるとなかなかモチベーションがねぇ」

 

というようなことを仰る人がいるのですが、そのような話を聞くといつも私は、

 

「”この年”っていくつを指すんだよ」

 

と思ってしまいます。私も知らないことが沢山あるので、学ぶべき事も盛りだくさんです。仕事もありますから1日に数ページ分のペースでしか読み進められないようなものもあります。“学びを生かす”までに何年かかってしまうのだろうか・・・と思うようなテーマも中にはあります。ひょっとしたらその前に死んでしまうかもしれません。そんな中どうやって“お勉強”に対するモチベーションを維持できるのでしょうか?

 

これは私の考え方なので、皆さんに押し付けてはいけないのですが・・・自分が20代でも、或いは60代だとしても、何年後に自分が死ぬかなんてわかりません。20代の人が明日死んでしまう事もあれば、60代の人がその後30年間元気に生き続けることもある訳です。そうであるならば、“世の中にとって意味がある”と思われる勉強の対象が見つかったら、余計なことは考えずにひたすら学べばよいと思います。そうすればいくつになっても成長は続けられますし、自分の命が果てる瞬間が最も成長した自分になるわけです。この考え方、変ですかね?

 

先ほど述べた通り、この考えを皆さんに押し付けるつもりはないのですが、興味がある人は試してみてください。毎日が刺激的で楽しくなると思います。そして自分がラッキーなことに死なずにある程度時間がたった時に振り返ってみると、結構なスキルがついていると思いますよ。