73.リモート授業の先にあるもの

新型コロナウィルスが世界的に蔓延し、各国において授業のオンライン化の対応が注目されることになると同時に、OECD(経済協力開発機構)による“学校内外でのICT利用状況”の調査結果において日本の対応の遅れが浮き彫りになり、そして菅内閣発足と同時にデジタル庁の創設が発表されるといった背景もあり、国内の学校教育におけるDXが注目を集めているようです。




 

この遅れを巻き返すべく「GIGAスクール構想」なるものが文部科学省で進められています。そしてこの構想に対して、経団連や新経済連盟が様々な提言を提出しているようです。政府としてはまずは1生徒に1台のPCを行きわたられ、ネットワークを通じて教育者と生徒が接続できる環境を整えるところからはじめるとのことですが、当然これだけにはとどまらず、プログラミング的思考、情報リテラシー、ITスキル、コミュニケーション能力を強化し、最終的には日本に欠如していると言われる、グローバリゼーションやイノベーション、アントレプレナーシップを養うところまでこの構想は広がると言います。

 

そして、現在の「GIGAスクール構想」の関連予算は以下の通りです。

 

予算総額:
4610億円(文部科学省所管)
内   訳:
2973億円(端末整備 ※1人1台端末の実現)
11億円(障害のある生徒向け入出力支援装置装備)
1367億円(学校内ネットワーク環境整備)
105億円(構内への人材配置支援)
154億円(緊急時の家庭でのオンライン学習環境整備)

 

これまでも学校のICT環境整備に対する予算化はなされていましたが、具体的進展が見られなかった理由の一つとして、これらの予算が地方交付税交付金とされていたことが挙げられています。地方交付税の場合最終的な使途は各自治体に委ねらえるために、ICTの環境整備にそのお金は使われてこなかったそうです。その為、今回の「GIGAスクール構想」においては国が主導する形で推し進められています。

 

皆さんは、ここまでの文章を読まれて、「これで日本の学校におけるICTは飛躍的に進むな」という印象を持たれたでしょうか?私の印象は、「まだ分からない」です。現在の国の取組の記事や、これまでの各自治体の先進的と言われる取り組み事例に目を通しても、日本の教育がデジタル化によって飛躍的に改善し、国力に寄与するといったイメージには結びつきませんでしたので、私なりに何が必要なのかを整理してみる事にしました。

 

私は学校教育については素人ですが、企業におけるITの取組についてはプロですから、まずは企業がデジタル化を進めるステップに習って考えていきたいと思います。企業のデジタル化の成熟度は大きく分ければ以下の3つにカテゴライズできます。

 

①効率化
②見える化(意思決定支援)
③自動化(作業、意思決定)

 

まずは、企業の取組を例にとりながら上記の①~③を説明します。まず“①効率化”とは、定型的に行っている業務をデジタル化して効率化を図るものです。典型的なモノをあげると、

 

見積もり→受注→納品→請求→売上計上→会計処理

 

といった処理を手書きの伝票から会計帳簿まで延々と転記していたものを、見積データをデジタル化する事によって、後続の処理はこれの電子的コピーに計算を加えた処理をシステムに任せる事により、物理的事務作業や転記ミスを劇的に減らすことでき、純粋に作業量の減少と、お客様への対応速度の改善を実現するものです。教育の現場においては、マークシート答案の自動採点などは“効率化”の例になると思います。

 

次に“②見えるか”ですが、これは今会社がどういう状態にあるかを経営層が視覚的に捉えやすくすることを意味しており、最終的には迅速な意思決定を目指すものです。例えば部門別のB/S, P/Lを表示したり、数値目標に対する本日時点の充足率を表示する機能を提供します。昔は各四半期の数字が締まった後に各指標を集計し、各数値によって以降の期の方針を決める際の参考にしていましたが、最近の10年では当期の目標を確実にするために、期中に”見えるか”された数値を確認し当期のアクションを決めるといった使われ方が主流となっています。少し補足すると、数値が“見えるか”しただけでは意思決定は迅速に行えません。把握すべき指標と、各指標の充足度ごとに取るべきアクションを予め定義することができてはじめて迅速な意思決定に繋がります。

 

例えば、当期の売上目標を達成するには、ショートリストされた勝率50%の案件の売上予想額の合計が、期の真ん中で目標額の倍必要であり、不足していれば新規案件の創出を急ぐというアクションを予め決めておけば、迅速に営業部門に指示が出せる訳です。

 

最後の“③自動化”は前述の②で定めた意思決定の基準に基づき、それに応じたアクションを自動化するものです。昔は意思決定の基準もシンプルでしたので例えば在庫の発注点を予め登録しておき、その在庫数を下回ったら自動で発注処理がされるといったようなことが典型例でしたが、最近はセンサーやAIを駆使して、売上のトレンドや、調達価格傾向、納期等刻々と変わる数値をリアルタイムに収集し、適切な発注点を都度計算し自動的に発注するといったことも可能になっています。

 

教育の現場においては、生徒の能力や精神を成長させることがコア業務ですが、ここを自動化する事は難しそうですので、指導方針の選択肢を自動で挙げるとか、教材の追加発注をするなど、自動化が適用できるエリアは周辺業務に限定されるような気がします。

 

さて、ここまではデジタル化が企業や教育現場に提供できる価値の典型的なモノをおさらいしてきましたが、ここからは日本の義務教育において何を目指し、その為にデジタルデータ及びITをどのように活用できるかについて考えていきたいと思います。

 

まず、日本の義務教育において何を目指すかについては、議論を進めやすくするために、仮の目標を以下の様に決めてしまいたいと思います。

 

A.全生徒が60点必達とする
B.上限については蓋を設けない。100点を超えるものは無限に目指せる機会を提供する

 

義務教育とは、学生が生産年齢人口に達した時に、彼らが一定以上の国力維持に貢献でき為に必要な教育と考えます。従ってこの60点の意味するところに冒頭で紹介した、イノベーションやアントレプレナーシップを養う要素が含まれることになりますが、それが何であるべきかはこのブログでは議論しません。

 

まず、上記A/Bを実現しようとしたときの困難性を考えてみたいと思います。
生徒の成績に差が出ることのきっかけは、学習に興味を失うか否かだと思います。そして興味を失う生徒が生まれる主な原因の一つは、画一的な授業スタイルにあると思います。つまり理解度の高い生徒も低い生徒も同じ教室で同じ授業を受けていると、当然理解度に差が出ます。教師は限られた1年と言う時間の中でカリキュラムを進めなくてはなりませんから、すべての生徒を拾う事を諦めてしまい、結果理解度の低い生徒もついていくことを諦め、学習に対する興味を失うのだと思います。

 

さて、全ての生徒が興味を失わず、少なくとも60点以上を目指すにはどのような取り組みが必要なのでしょうか?実は私は学校教育においてテストは不要だと考えています。画一的な問題を解かせて0~100点の点数をつける事は教師が一方的に生徒をランク付けする事以外に意味が無いと思うからです。少なくとも一部の成績優秀な生徒を覗いては、この種のテストが生徒の学習意欲をそそる事はあまりないのではないでしょうか?

 

逆に言うと、「如何に生徒に学習に対する興味を持たせるか」と言う事が重要だと思う訳です。その為には何をしたら良いでしょうか?私は、学んだことと、実社会においてどんな課題を解決できるのかということとを紐づけることだと思います。そして、この”応用できる実社会の課題解決”の複雑さのレベルに応じて難易度を定義します。教育課程上、定められた範囲は全生徒がカバーする必要がありますが、この範囲は科目ごとに1章から5章に及ぶと仮定します。そして各章で学ぶ内容が応用できる、実社会の課題の難易度をA~Fの6段階に分けるとします。そして各難易度に振り分けられた生徒は当該の難易度のなかで満点を目指せばよいわけです。最高難度のFで5章を終えて卒業するものがいれば、難易度D(60点相当)で5章を終えて卒業する人もいるという事です。

 

つまり、全生徒が教育課程で定められた1章~5章をクリアし、且つ学習意欲を維持できる難易度の中でモチベーションを維持し、且つその難易度に相当する”実社会の課題解決”の複雑性はイノベーションやアントレプレナーシップを考慮してケースを作る訳です。

 

しかしこれを実際に実行しようとしたときに問題になるのが教師の負担です。この理屈ですと1クラスに6段階の難易度に応じた指導をする必要が出てきますので、負担が6倍になってしまいます。この課題をクリアする為に、従来型のクラス編成をやめてレベルごとに教師をあてがう必要があります。当初の目標通り全生徒が60点(難易度D以上)を達成できれば3レベルに収まりますから教師の負担は一定以下に抑えられることにはなるはずですが…。

 

一方で、上限に蓋をしないとう考えも重視するとなると、難易度F以上の生徒を強化する為にさらに教師の負担が増してしまいます。この負担を緩和しようとすると飛び級を認めざるを得なくなるでしょう。

 

これを現有の教師数で実現する為には、どのような基準(難易度)で振り分けをすべきかを決めた上で、各生徒を振り分け、振り分けられた生徒に個別に効率的にアクセスし指導できる環境が必要になり、これを考えた時にデジタル化が必須となる訳であるし、逆に現在のデジタル技術と①効率化、②見えるかの概念を応用すればこれらはクリアされるはずです。しかし、それよりも重要なのは、難易度ごとに想定する”実社会の課題解決”のケースをどのように作るかであり、これこそが教育者の知恵の出しどころだと思います。

 

最後に、リアルクラスの必要性について個人的な意見を述べたいと思います。ここまでの議論では、生徒は興味を失わずに学習に取組める難易度に応じてグループ分けされることになりますが、リアルクラスもこの基準で分けるべきなのでしょうか?私は物理的な教室に入る生徒は玉石混交でも良いのではないかと思っています。このリアルクラスでは何か学校全体をテーマにしたような学級会などを主な活動として、教育課程上網羅すべきカリキュラムとは切り離されたものとします。教育課程上のカリキュラムをこなすことだけを考えると、リアルクラスはもはや不要だと思うのですが、実社会は頭のいい奴や悪い奴、正直な人や悪賢い奴が入り混じった社会で生きていかなければなりません。そのような環境の中でどのように自分を表現できるかの訓練の場が学校にあっても良いと思うし、そこで嫌な思いをしても、それが発奮材料になればプラスだと思うからです。